達磨大師は今から1600年ほど前、南インドにあるカンチープラム(香至国)の第三王子として誕生し、幼名は菩提多羅といいました。
若い頃に父である国王が亡くなり、菩提多羅王子は国政を二人の兄に頼み、お釈迦様から二十七代目にあたる般若多羅尊者のもとに出家し、『菩提達磨』の僧名を頂きました。
師に就いて修行すること四十年に及び、般若多羅尊者から釈尊正伝の第二十八代目を継承しましたが、師より「六十七年間はインドを布教し、その後に中国に正法を伝えなさい」と遺言され、それに従って老年になってから、海路を三年かかって中国・広州の港に上陸しました。
梁の武帝と問答し、縁かなわず揚子江を渡って洛陽の都のはずれ、嵩山少林寺の裏山の洞窟に住み、面壁九年の坐禅をするうちに求道者・神光が現れ、その熱意に感じ中国で始めて弟子をとり、慧可と名付けました。
この慧可にすべてを伝え、中国に禅宗の基礎を築かれたのですが、その教えを理解できない者たちによって毒殺され、熊耳山定林寺に葬られました。