禅語を味わう

ぶじこれきにん

無事是貴人

無事是貴人

黄檗宗第五十六代安部禅梁管長書

この語は臨済宗祖・臨済義玄禅師の言葉で、禅者の書などによく見かける禅語です。
私達は、平素よく「無事」という言葉を使います。
変わりがないこと,健康であること、平穏であることの感謝や願望を表す挨拶語として使われます。
しかし、禅語としての「無事」にはもっと別の深い意味があります。
臨済禅師が説くところの「無事」とは馳求心ちぐしん(外に向かって求める心)をすっかり捨て切ったさわやかな境涯です。
求める心を捨てるといっても、無気力無関心であれ、惰性で生きろということではありません。
また財産や名誉をあくせく求めるなという表面的な戒めとも違います。
「無事」とはいわば、求めなくてもよいことに気づいた安らぎの境地といえます。
臨済禅師は "悟り" "ほとけ" "救い" "しあわせ" などといったものを頭に描いて、それを自分の外に追い求める愚かしさを厳しく戒められました。
それらは求めて得られるどころか、求めれば求めるほど遠くへ 逃げていってしまうものなのです。
求める心を捨てて、ああしたいこうなりたいといった欲を捨てて限りなく純真無垢な自分と出会う時、無限にして偉大なるものに生かされている自分に気づくことができるでしょう。
求めずとも既にそれに抱かれ、生き生きと輝いている自分を発見できるでしょう。
「無事是貴人」とは、そういった安らぎの境地を心の底から実感した人こそ、老若男女・貧富地位の別を超えて本当に貴い尊ぶべき人であるということなのです。