禅語を味わう

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百花春至為誰開

百花春至為誰開

黄檗宗第七代管長 悦山書

花に関する禅語にはいくつか有名なものがありますが、これはその一つ「美しく咲き乱れる春の花はいったい誰の為に咲くのか」という問いかけの語です。
一見なにげない普通の問いかけですが、実はとても深い心理をついています。
いうまでもなく花は誰の為でもなく、ただ無心に咲くだけです。
良寛さんの詩に
『花は無心にして蝶を招き、蝶は無心にして花を尋ぬ』
とあるように、大自然に和して,ただありのままに咲くからこそ花は美しいのでしょう。
無心とは決して心が無いということではありません。
"ありのまま、自然のまま" が無心です。
自然の法則のままに今この時をただひたすらに生きる。
それが無心です。
ところが、人間には自我意識があります。
私達はなかなか花のように無心に生きることができません。
"わが子は早く成長してほしい。自分は年はとりたくない" などと身勝手な期待・思惑を抱いて、ああだこうだと嘆いたり喜こんだりしてしまいます。
花を花たらしめている不思議にして偉大な大自然の法則が、私達人間一人一人に平等にゆきわたっていることを知るべきです。
その力に逆おうとしたり、不平不満をもらしてもかえって迷いは深まるばかりです。
小さなはからいなどさっぱり捨てて、咲く花の如く無心に生きれば、私達の人生もより豊かでさわやかなものとなることでしょう。
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